内山善康(うちやまよしやす)の現在は東海大学で肩関節外科の専門医師に!古賀稔彦が勝てなかった天才柔道家が消えた理由や井上康生との出会いとは?

内山善康と古賀稔彦の出会いは?金メダリストを救った内山善康医師の年齢や経歴wikiプロフィールやインスタ画像などまとめ

柔道金メダリストの古賀稔彦(こがとしひこ)さんをご存知でしょうか?

古賀稔彦さんの代名詞と言えば、豪快な一本背負いです。高校時代から必殺の一本背負いで、自分よりも大きな相手も何人も投げ倒してきました。

そんな古賀さんが、無名ながらこんな選手がいたんだと気づかた天才が存在するというのですが、その前に古賀稔彦さんのプロフィールをおさらいしてみましょう。

古賀稔彦 wikiプロフィールやインスタ画像

名前:古賀稔彦
こが としひこ
元柔道家
古賀 稔彦は、日本の柔道家。環太平洋大学教授。日本健康医療専門学校校長。 佐賀県三養基郡北茂安町出身。1992年バルセロナオリンピック柔道男子71kg級金メダリスト。血液型はA型。身長169cm。古賀颯人は長男、古賀玄暉は二男。 ウィキペディア
生年月日: 1967年11月21日 (年齢 51歳)
生まれ: 三養基郡
身長: 5.545 ft
学歴: 日本体育大学
子供: 古賀颯人

そんな無敵だった古賀稔彦さんが、天才と認める選手がいたそうです。

古賀稔彦 天才との出会い

古賀稔彦さんが消えた天才と出会ったのは高校時代でした。

1985年の全国インターハイで古賀さんは一本背負いを連発、難なく決勝戦に進みました。

そして、決勝で当たった相手はいかにも真面目そうなガリベン選手。甘くみていた古賀選手は、圧倒的な強さを誇っていたにもかかわらず、天才は古賀の一本技に返し技で対抗したり、関節技まで繰り広げ、古賀さんは技を決められず、勝敗は判定に持ち越されます。

結果、僅差で何とか勝つことが出来ましたが、一本勝ちを確信した試合で、とても意外な結果となりました。

当時、天才は偏差値70の桐蔭高校にスポーツではなく一般入試で入学していた天才でした。文武両道を地で行く選手でまるでマシーン、ロボットのようだったと語ります。

自分の技を防いで、勝つところまでの準備があったということで天才だったと認める文武両道の天才の名前は内山善康(うちやまよしやす)。

内山善康 消えた理由

内山善康さんは小学生で柔道をはじめ、中学までは無名でした。しかし、努力と研究を重ね、高校二年と三年のインターハイでは準優勝を飾りました。

将来、小川直也さんや内山善康さんはオリンピックの代表を争う古賀俊彦さんの最大のライバルになると思われていました。

しかし、その後、大学でも柔道界でも一切姿を見せなくなってしまったそうです。忽然と姿を消した内山善康さんは今、一体何をしているのでしょうか。

内山善康 現在は?

内山善康さんは現在、神奈川県にいらっしゃいます。

現在は51歳となった内山さんは今でも知的な印象です。当時の古賀さんについて聞いてみると、古賀さんの一本背負いや技はどういうタイミングで繰り広げられるかというのは、自身で研究分析し、柔道ノートにびっしりと全て書き込まれているそうです。

まさに頭を使って柔道をする天才だったのです。では、一体何故、柔道の世界から消えてしまったのでしょうか・・?

実は、あの時に負けたことで違う道に進むことにしたそうです。負けたからこそ、その時に柔道に諦めをつけて、目標を変えたそうです。

どんなに研究しても勝つことが出来なかったということで未練なく決断することが出来たのでしょう。

内山善康 華麗なる転身

実は内山さんは現在、東海大学病院で医師をされているそうです。

内山さんが消えた理由は、柔道に限界を感じた内山さんは、負けたあと受験に本腰を入れ、難関試験を受け医者を目指したからでした。

内山さんは、勉強は頑張れば点数が伸びますが、柔道は勉強だけじゃないという点でより大変だと感じるそうです。

内山さんは肩関節外科のスペシャリストとして活躍されています。実は、この選択には古賀さんの存在が影響しているのだそうです。

当時医学部6年生だった内山さんは、古賀さんがバルセロナオリンピックでに左ひざじん帯を負傷し、痛み止めを打ちながら本番に挑み、見事に金メダルを獲得しました。

このことに非常に感動して勇気をもらったという内山さんは、自分も医者を目指して頑張ろうと改めて感じたそうです。そして、柔道の経験を活かし、怪我をしたアスリートの力になりたいと思ったことがきっかけだったそうです。

内山善康 井上康生との出会い

実は、内山さんはある金メダリストの選手生命を救ったというのです。

ある日、内山さんのもとに現れた患者はシドニーオリンピックの金メダリスト、井上康生さんでした。

井上康生さんは2005年1月、嘉納治五郎杯の試合中に負傷してしまいます。しかも、それは大胸筋断裂という大怪我でした。

大胸筋断裂とは胸の筋肉と肩の健が剥がれる選手生命を脅かすぐらいの大けがだったのです。当時の怪我について井上さんは、まるで手がちぎれるような感覚でした。

手術をしてもしなくても筋力が戻るかどうか分からないリスクのある状態で頼ったのは内山さんでした。

そして、内山医師執刀のもと手術を行うことを決断し、無事に成功したのでした。そして、筋力が戻るよう、献身的にサポートを行ったそうです。

一年半後、畳の上に井上康生さんがいたのでした。見事、負傷前と変わらない内股を披露した井上康生さんは見事、完全復活を果たしました。

オール一本勝ちで優勝したのです。井上康生さんが立ち直ることが出来たのは、柔道とスポーツ医学の両方をしっている内山医師だからこそ、そして、先生方の力なくして復活を遂げることはできなかったと感謝されていました。

内山善康 wikiプロフィールやインスタ画像

名前:内山善康
生年月日:1697年生まれ
1993年東海大学医学部卒業
職業:東海大学外科学系整形外科学 准教授
専門分野:肩関節外科、重度下肢外傷に対する手術的治療・再建術、スポーツ整形外科/ 肩関節不安定症(脱臼・亜脱臼)、腱板断裂、スポーツ外傷
専門医資格:日本整形外科学会専門医
留学歴:Thomas Jefferson University (アメリカ)

内山善康 医師としての経歴

1993年 東海大学医学部卒業、同整形外科学教室入局
1995年 東海大学大学院 医学研究科 博士課程 外科系専攻入学 東海大学医学部外科系整形外科 助手採用
1999年4月-2001年3月 塩田病院整形外科
2001年 医学博士取得
2005年 東海大学医学部外科系整形外科 講師昇格
2005年9月-2006年12月 米国 Thomas Jefferson医科大学(基礎研究留学)
2011年 東海大学医学部外科系整形外科 准教授昇格

塩田病院HPより

内山善康 まとめ

いかがでしたでしょうか。

人は生きていると知らない間に色んな人に影響を与えているのですね。

柔道でかつて闘った対戦相手が、今は医師として柔道に携わり、柔道家を助けているなんて本当に感動的でした。

人に対していい影響を与えていればいいですが、悪い影響を与えない様に、襟を正して生きないといけないと思わされるお話でした。

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