鯉川なつえ(こいかわなつえ)高橋尚子が憧れた消えた天才ランナーの旦那は井上将憲!息子の丈偉(じょうい)君も凄い!

鯉川なつえが消えた理由や現在の職業は陸上史に残る「熱中症」大事件がきっかけだった!?

2019月3月17日 (日) MBS毎日放送 18:30 ~ 20:54 消えた天才 ★スポーツ史に残る悲劇で消えた天才…衝撃映像蔵出しSP★

高橋尚子 wikiプロフィールやインスタ画像

名前:高橋尚子 たかはし なおこ
オリンピック選手
高橋 尚子は、日本の元陸上競技選手。岐阜県岐阜市出身。血液型O型。2000年シドニーオリンピック金メダリスト。女子マラソンの元世界記録保持者。女子スポーツ界で初の国民栄誉賞を受賞。愛称は「Qちゃん」。現在はスポーツキャスター、マラソン解説者などで活躍している。 ウィキペディア
生年月日: 1972年5月6日 (年齢 46歳)
生まれ: 日本 岐阜県 岐阜市
身長: 5.348 ft
体重: 101 lbs
オリンピック メダルの数: 1

シドニーオリンピック金メダリストを獲得し、女子アスリートとして初めて国民栄誉賞を受賞した高橋尚子は、過去に、絹川愛さんや川上優子さんなどを衝撃を受けたライバルとして紹介していますが、今回は、その二人のさらに上をゆく最も憧れた天才ランナーだそうです。

高橋尚子にとっては神様というぐらい手の届かないレベルの選手とは一体誰なのでしょうか?

当時、無名のランナーだった高橋尚子が大学生の頃、雑誌などで有名だったその選手を大会で見かけ、同い年にもかかわらず思わず握手を求めるほど憧れていた存在だったそうです。

彼女の名前は「鯉川なつえ」さんです。

鯉川なつえ wikiプロフィールやインスタ画像

名前:鯉川なつえ
こいかわ なつえ
説明鯉川なつえは、福岡県福岡市出身の日本の女子陸上競技選手、指導者。専門は長距離走。 ウィキペディア
生年月日: 1972年8月2日 (年齢 46歳)
生まれ: 日本 福岡県
書籍: 陸上競技版 4スタンス理論

中学時代はバレーボール部だった鯉川さんは、陸上は未経験でしたが名門の筑紫女学園高校の陸上部へと進学しました。

そして、高校二年生の時、全国高校駅伝に出場し、陸上を始めてわずか2年で区間賞に輝き、翌年は区間新記録を達成しました。

1990年とびうめ国体の3000m予選ではいきよいよく飛び出した鯉川選手の靴がスタート直後に脱げてしまいましたが、その後、履きなおすことなく裸足で3㎞を走り続け、優勝しました。

高校卒業後は、陸上の名門である順天堂大学に進学し、大学二年の松江ハーフマラソンに初出場し、前年のバルセロナオリンピック金メダリストのワレンティナ・エゴロア選手と戦い、トップを独走し、一着で優勝しました。

その他にも、

・高校総体3000m高校日本新記録

・全国高校長距離 5000m優勝

・全国高校駅伝 区間新記録

・日本学生選手権 3000m優勝

・日本インカレ 3000m優勝

・松江ハーフマラソン学生日本新記録

というとんでもない記録を次々と残しています。まるで化け物のような勢いと強さに圧倒され、間違いなく今後の陸上界を背負っていく逸材だろうと期待されていました。

しかし、その後、一度も大舞台で活躍することなく、25歳で表舞台から姿を消しました。

鯉川なつえ 現在は?

現在、鯉川さんは千葉県佐倉市にいました。京成佐倉駅前には高橋尚子が現役時代、練習していた場所で高橋尚子の銅像が飾ってあります。

現在、46歳となった鯉川さんは24年前の現役時代の面影を残していらっしゃいます。

高橋尚子が金メダルを取ったおかげで京成佐倉駅と直線でつながる道路が出来て感謝しているという鯉川さんは、夫の井上将憲(いのうえまさのり)さんと小学三年生の息子さんと三人暮らしです。

実は、旦那さんは元アスリートで、全日本選手権110mハードル決勝で優勝したトップ選手で、さらに長野、ソルトレーク五輪に2大会連続ボブスレー選手として出場した異色の選手です。

二人は同じ大学で同級生だった二人は、井上将憲さんが一目惚れして結婚に至ったそうです。大学時代に「なつえ命」と書いた鉢巻を巻いて全日本大会を走るぐらい熱い二人です。

井上将憲 wikiプロフィールやインスタ画像

名前:井上将憲
いのうえ まさのり
スケルトン選手
井上 将憲は、日本の男子ボブスレー選手、陸上競技選手。千葉県八千代市出身。 東海大学付属浦安高等学校から順天堂大学へと入学。大学時代には日本学生陸上競技対校選手権大会の110mハードルで優勝している。大学卒業後はミズノトラッククラブへと所属し、ユニバーシアード福岡大会代表や日本選手権での2位を経験した。 ウィキペディア
生年月日: 1972年5月1日 (年齢 46歳)
生まれ: 日本 千葉県 八千代市

そして、二人の遺伝子を受け継いが息子の丈偉(じょうい)君は現在9歳ですが、ジュニアチャレンジカップ50m決勝でダントツ一位で優勝。

陸上の才能を受け継いだ丈偉くんの将来が楽しみですね。

鯉川なつえ 現役時代について

鯉川なつえさんは高橋尚子選手のことを高校時代は全く知らなかったそうですが、大学の時に高橋尚子に声をかけられて以降、友達関係だそうです。

学生時代は常に鯉川さんが上だったため、高橋尚子さんが金メダル獲った時に、嬉しい反面、複雑な思いもあったと語る鯉川さんですが、そんなに自信があったにも関わらずどうして、辞めてしまったのでしょうか。

そこにはある衝撃的な事件が関係しているのだそうです。あまりに衝撃的すぎて20年以上、映像使用が規制されていたというから驚きです。

しかし、その衝撃映像が、今回、20年ぶりに本人の了承で解禁されました。

鯉川なつえ 辞めた理由は?

その事件とは、1995年9月に行われた世界の強豪が集結する大会、ユニバーシアード福岡大会でのこと。

鯉川さんにとって2度目のフルマラソン挑戦の機会で、ここで試合を頑張ったら翌年のアトランタオリンピックに選ばれるかもしれないという大事な試合で、意欲的に走っていました。

鯉川が優勝すると誰もが思っていました。しかし、39キロ地点、陸上史に残る大事件が起こってしまったのです。

突如、鯉川さんに異変が起こり、走りが大きく蛇行し始めました。表情が苦しくなり、ふらふらしながら完全にコースを見失い、真っ直ぐ走れずコースを大きく外れてしまいます。

触ってはいけないというルールがあるため、ふらふらする鯉川さんを止めることが出来ず、よろめきながら倒れそうになってもまた立ち上がる鯉川さんのために、チーム関係者が棄権を申し出、やっと走る事を止める事ができました。

原因は「熱中症」でした。その日は気温29度で湿度が91%という気候で、まるでサウナ状態。出場選手の4割が危険するという異常事態でした。

鯉川さんは意識障害を起こしたまま、もはや本能で走り続けていたため止めることが出来ませんでしたが、医者はあと一歩遅れていたら意識が戻らなかったかもしれないと警鐘を鳴らすほどの重症だったそうです。

意識を戻したときは、自分が何をしていたのか覚えていなかった鯉川さんでしたが、この時、時代の背景として「熱中症」という症状や言葉が浸透しておらず、鯉川さんは思わぬ事態に巻き込まれてしまいます。

誰も鯉川さんが熱中症だったと分からず、レース後、鯉川さんにはバッシングが相次いだそうです。

今では考えられないことですが、そんな事態になったのは、「素人だから」「練習経験が浅いから」「レベルの低い選手だから」と心ない事を書かれました。

しかし、鯉川さんはまだマラソンを諦めていませんでした。

バッシングを見返すため、今度のレースこそと練習を重ねたことが悪因となり怪我を頻発するようになってしまったそうです。そして、25歳で引退することになりました。

あれから24年、その時のレースを一度もテレビでも見ていないという鯉川さんは、今回、自分が熱中症でよろめきながら走る映像を見て、「生きていて本当によかった」と改めて語っています。

鯉川なつえ 現在の職業

20年ぶりに映像を公開するきっかけとなったのは、現在の職業も関係しているそうです。

じつは、母校である順天堂大学でスポーツ健康科学部で大学の准教授をされているそうです。研究しているのは、そう「熱中症」についてです。

自身の経験を基に世の中に発信していくことがマラソン競技をする人に貢献することに繋がると信じ、論文を発表しました。

その鯉川さんの論文が評価され、マラソンコースでのミストシャワー設置や吸水性の良いタオルを支給するなど、熱中症対策の普及に繋がりました。

東京五輪にも影響を与えています。真夏に行われるマラソンを午前6時スタートにしたり、道路に特殊な塗装を行い遮熱したり対策が検討されています。

そして、現在、女子陸上部の監督もし、選手の育成にも携わっています。女性アスリート外来など女子アスリートが活躍できるための環境づくりをしています。

鯉川さんは熱中症事件を振り返り、陸上を恨んでいましたが、マラソンランナーとして熱中症を経験したことで、研究者になるきっかけになり結果的に良かったと思えるようになったそうです。

鯉川さんは下記の本も出版されています。

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【陸上競技版】4スタンス理論

マンガでわかる「4スタンス理論」 身体能力を最大限発揮するすごいカラダの使い方

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