野内セサル良郎著書「世界遺産マチュピチュに村を創った日本人 野内与吉物語」とは?
目次
秋篠宮家の長女眞子さまのが2019年7月9日から22日に訪れる訪問先の一つである南米ぺルーには世界遺産となっているマチュピチュがあります。
マチュピチュは天空の城ラピュタの舞台やモデルになったとも言われていますね。
知名度はありますが、この素晴らしい世界遺産マチュピチュが日本人と縁が深い場所であることはあまり知られていないのではないでしょうか。
実は、今から70年前、日本からの移住者の一人である野内与吉さんがマチュピチュの初代村長になった歴史があるのです。
そんな日本との縁が深い場所に、今、何かと話題を集めている眞子さまが公式訪問されることにより注目を集めています。
南米ぺルーの日本人移民や日系人、野内与吉さんの歴史を知ってもらう機会になるといいですね。
今回は、マチュピチュに村を作ったという日本人、野内与吉さんについてご紹介します。
野内与吉 wikiプロフィールやインスタ画像
名前:野内与吉
名前の読み方:のうち よきち
出身:福島県大玉村出身
生年月日: 1895年11月18日
死亡: 1969年8月29日
野内与吉さんは1895年に福島県大玉村出身で農家の次男として生まれました。
21歳の時にあぺルーへ渡り就労しましたが、働いていた農園がお給料を支払わず各地を放浪し苦労されたそうです。
やがて、ペルー国鉄の路線拡張工事などに携わるようになりマチュピチュの集落で暮らすようになりました。
その後、野内与吉さんは水力発電でマチュピチュの集落に電気を通したり、インフラ整備に貢献しました。
1935年には木造3階建てのホテルを開業し、事業にも乗り出し、その施設を郵便局や交番として提供し村を発展させました。
その功績が認められ、集落の最高責任者となり、マチュピチュの村ができた後の1948年に村長に任命され、ペルーの世界遺産マチュピチュ村の初代村長となりました。
野内与吉さんに関する本
日本マチュピチュ協会会長で野内与吉さんの子孫にあたある野内セサル良郎さんが祖父の功績を伝えるためにはるばる日本に渡り書いた著書がこちらです。
野内セサル良郎さんについて
野内セサル良郎さんはペルー共和国クスコ市生まれの日系ペルー三世で、マチュピチュ村の初代村長である野内与吉さんの子孫です。
野内セサル良郎さんは日本語を読むことも描くことも話すことも出来ませんでしたが、家計を支えるために16歳の時に日本に来日したそうです。
野内与吉さんはぺルーへ渡り、野内セサル良郎さんは祖父とは逆に日本へと渡りました。
学校へ通い勉強をしたいと思っていましたが叶わず、しばらく三重県内の自動車部品工場で働きながら父親と共に家計を支えていたそうです。
しばらくして日本の生活に慣れてきたころ、働きながら定時制高校通い卒業し、大学にも進学し無事卒業することが出来ました。
卒業後、2004年からペルーの文化紹介をするボランティア活動を始めたり、「日本マチュピチュ協会」を設立し、祖父である野内与吉さんの功績を伝えるために講演を行ったりする活動をしたり、東京・秋田・福島・横浜で古代アンデス文明を紹介する展示会を開催する活動をされています。
異国の地で言葉も通じず、何度も挫折しそうになった時、同じ道を歩み、異国で諦めず人のために尽くした功績を敬い乗り切ることが出来たそうです。
長年の目標であった野内与吉資料館も開設し、今回、秋篠宮の長女、眞子さまの現地ガイドを務めることにより、より一層の注目が得られることでしょう。
日本人としてとても誇らしいですね。先人の方が苦労され、誠実に生きてきた証が孫の代で日の目を浴びるということもとても感慨深いです。
野内与吉資料展示室さんの展示室の詳細はこちら。
野内与吉資料展示室
野内与吉資料展示室
博物館 / 美術館
所在地: 日本、〒969-1301 福島県安達郡大玉村玉井西庵183
電話: 052-482-8887
HP:https://oscar-nouchi-yokichi.wixsite.com/memorial-museum
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