佐藤昭子 田中角栄を総理大臣にした女は秘書で愛人だった!娘 佐藤敦子の年齢や経歴wikiプロフィールや画像は?

 

娘 佐藤敦子

名前は佐藤敦子(佐藤あつ子)さん。のちに、「私の父・田中角栄」と「昭 田中角栄と生きた女」という本を二冊、出版しています。

 

 

昭 田中角栄と生きた女


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初めてテレビに出演したあつ子さんは、小さい頃は「おじちゃん」と呼ぶ親切な男の人がいると認識していたと言います。

 

 

あつ子さんと田中角栄さんの関係が次第に変化してきたのは母親が田中角栄のことを「お父さん」とよびなさいと言った頃から。子供で良くわかっていないあつ子さんは親切なおじちゃんが自分の父親になったのだと思い、「おとうちゃん」と呼んでいたそうです。

 

 

あつ子さんにとって田中角栄はどんな存在だったのでしょうか?家族としては母親以外にこの男性しかいない、あつ子さんにとっても大きな存在となっていました。

 

 

田中角栄には愛人がたくさんいましたが、生涯、繋がっていたのは3人だけだったそうです。本妻と神楽坂の芸者 辻和子さんと越山会の女王と呼ばれた佐藤昭さんでした。この女性3人は最後まで田中角栄の悪口を言わなかったそうです。

 

 

敦子の戸籍上の父は母親である佐藤昭子の二番目の夫であったため、自分の出生に悩み、自殺未遂を繰り返す壮絶な思春期を過ごしたそうです。

 

 

ちなみに、本妻の娘である田中真紀子も父親である田中角栄に関して本を出版しています。

 

 

父と私 (B&Tブックス)

 

 

同じ父親から生まれた子供なのに本妻と妾という立場の違いから思い悩むのも無理はないでしょう。

 

 

母親である佐藤昭子さんの死後、「田中角栄の恋文」が金庫から見つかり、内容を公開しています。

 

 

筆で書かれた文章は漢文の様だったといいます。

 

 

愛君山岳心不移

(訳:君を愛する心は山岳のように移ろわない)

昭どの

角栄

昭和47年7月5日

 

 

第一次田中内閣の支持率は70%を誇っていました。長期政権になると思われていましたが、わずか1年4か月で崩壊が始まり2年で失脚しました。

 

 

それは、佐藤昭がきっかけになったと言われています。田中角栄の金権政治について数十ページに渡りスクープされ、そこには愛人である佐藤昭についても詳細に記されていました。

 

 

当時は愛人関係というのは暗黙の了解で、本来、一般人なら記事にはならないはずでした。しかし、佐藤昭の場合は、田中角栄の分身と言われ、もはや公人の存在に等しい存在であった佐藤昭は記事に取り上げられバッシングされる立場となってしまいました。

 

 

しかし、刑事事件ではなく政権内では田中政権を続投するつもりだったそうです。しかし、そこでストップをかけたのは本妻の娘、田中眞季子でした。

 

 

金脈ではなく、愛人、佐藤昭がネックだったのです。愛人なのに堂々と政治の世界に秘書としてくる佐藤昭に対し、娘の立場である田中真紀子には許せなかったのでしょう。そして、田中角栄が一番怖かったのは田中眞季子でした。田中角栄は総理大臣辞職を表明しました。

 

 

総理退陣後も闇将軍として大きな影響力を持っていた田中角栄でしたが、退陣から1年2か月経った1976年、新たな問題が発覚します。あの有名なロッキード事件です。

 

 

ロッキード事件とはアメリカの航空機メーカーロッキード社による大規模収賄事件です。

 

 

田中角栄は5億円の賄賂を受け取ったとして収賄/外国語為替管理法違反で逮捕されました。これも史上初、総理在職中の犯罪による逮捕となりました。

 

 

参考人として佐藤昭も任意の事情聴取を受けました。貯金通帳には入っていますが台帳には乗っていませんでした。

 

 

事情聴取は3時間に及びましたが肝心のロッキード事件の5億円に関しては一切聞いてきませんでした。そして、刑事は、身に覚えのない一文が足された文書に署名をするように言われました。

 

 

内容を確認すると「5億円をうけとった犯人は田中角栄だ」と認める内容の文書でした。佐藤昭は田中角栄を信じていました。佐藤昭が知らないお金はないはずだと、田中角栄の潔白を主張し続けました。

 

 

田中角栄は保釈金を払い釈放されると逮捕から5か月後の総選挙に立候補しました。トップ当選を果たしました。

 

 

そして、120名以上の最大派閥を結成し、闇将軍として君臨し続けました。田中角栄と佐藤昭にはある思いがありました。再び総理に・・・

 

 

しかしロッキード事件の裁判が長引き、無所属となりました。人は減り、1985年2月、田中角栄が大量のお酒を飲んだ末、脳卒中で倒れたという電話がはいりました。

 

 

突然、田中角栄が退院して、突然、田中家の意向で1985年、事務所を閉鎖されました。スタッフは皆で泣きながら別れたそうです。

 

 

佐藤昭は当時の複雑心境を語っています。何より辛いのは病で倒れた田中角栄に会うことが出来ないのが何より辛かったそうです。「あとのことは心配しないで」と伝える内容の手紙を他人伝いに渡したそうです。

 

 

1985年12月、佐藤昭は再び立ち上がりました。佐藤昭 新事務所・政経調査会を設立し、小沢一郎や羽田元総理が理事を務め、田中角栄の復帰のため田中角栄の城を守ろうとしていました。

 

 

しかし、田中角栄は政界に戻ることなく、1993年12月16日、享年75歳でなくなりました。佐藤昭さんはお葬式にも亡骸にも会いに行くことはなかったそうです。

 

 

そして、佐藤昭さんも2010年3月11日、肺がんで享年81歳でこの世を去りました。家族葬で参列した政治家は1人だけだったそうです。

 

 

愛人から女王にまで登り詰め、第一秘書にまでなった佐藤昭さんは田中角栄からの自分や娘に対する手紙を金庫に保管していました。

 

 

田中角栄から昭さんや娘あつ子さんに対する深い愛情も伝わる手紙も含まれていました。

 

 

たった三行の手紙ですが、「君以外を妻とせず、あつ子の将来の全責任は全て持ちます」というものでした。

 

 

娘、あつ子さんは母である昭さんに対して、晩年は淋しかったかもしれないけれど、こんなにも性別関係なく一人の人間に人生を委ねることが出来る人に出会えたことは幸せだったのではないかと語っていました。

 

 

きっと、「これでいい。あの日々があるからいいのよ」と言うのではないかなと思っているそうです。

 

 

佐藤昭子 Youtube動画

 

 

佐藤昭子 まとめ

いかがでしたでしょうか。佐藤昭子さんは、田中角栄の秘書で愛人であった人物で、田中角栄の分身として支えた人物でした。

 

 

佐藤昭子さん自身も田中角栄に関する日記を出版、そして、死後、娘である佐藤あつ子さんがふたりの関係や田中角栄の娘であったことを本にまとめています。

 

 

昭和のお金・女・権力が渦巻くドロドロで豪快な時代を生きた総理大臣の第一秘書、佐藤昭子さんについてご紹介しました。