佐藤昭(さとうあき)と田中角栄の娘は?認知されていない娘 佐藤あつ子の著書「昭 田中角栄と生きた女」とは?
2019/3/4 (Mon) MBS毎日放送 22:00 ~ 23:07 1番だけが知っている
番組概要
様々な業界のNo.1…「1番」だけが知っている、魂震えたとっておきの物語や驚異の人物を紹介する番組≪MC≫坂上忍・森泉
佐藤昭子 wikiプロフィールやインスタ画像
名前:佐藤昭子(佐藤昭)
さとう あきこ(さとうあき)
佐藤 昭子は、かつて田中角栄の秘書を務め、その愛人であったと云われ「越山会の女王」と称された人物。後に「政経調査会」を主宰した。1979年、名前を佐藤昭から佐藤昭子へ改名している。 ウィキペディア
生年月日: 1928年
生まれ: 日本 新潟県 柏崎市
死亡: 2010年3月11日
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田中角栄とは?
田中角栄は、第64・65代の日本の総理大臣です。
日本の景気が最高潮の時代で、学歴が高卒(中央工学校、専門学校の卒業生)で内閣総理大臣まで上り詰めたのは後にも先にも初めてではないでしょうか。
田中角栄の政治家としての実績は下積み時代に26もの法律を作り、1957年、戦後初最年少の37歳で郵政大臣になりました。
1961年43歳の時、自民党政調会長に史上最年少で就任、1962年44歳の時、大蔵大臣にも史上最年少で就任、1968年51歳の時、自民党幹事長に二度目の就任を果たしました。
建築畑出身で相当なやり手であったと言われています。豊富な政治献金を元に政界の闇将軍と囁かれ、戦後最大の収賄事件、ロッキード事件を起こし失墜した元総理大臣でもあります。
学歴コンプレックスがあったのか、権力・名誉・支持をお金で買うという構図が思い浮かびますが、加えて女性問題のスキャンダルも絶えない人でした。
それでも、人たらしと豪快な手腕と決断力で日本のトップまで上り詰めた裏には類まれなる強運とカリスマ性を併せ持った人物だったのではないかと推測されます。
現在、政治家をしている田中真紀子さんの父親でもあります。声質や話し方、自己主張が激しいところがそっくりですね。
改めて田中角栄のプロフィールはこちら。
田中角栄 wikiプロフィールや画像
田中角栄
元内閣総理大臣
生年月日: 1918年5月4日
生まれ: 西山町
死亡: 1993年12月16日, 日本 東京都
配偶者: 坂本 はな (1942年 – 1993年)
書籍: 日本列島改造論、 裁かれる首相の犯罪: ロッキ一ド法廷全記
子供: 田中 眞紀子、 マサノリ・タナカ
田中角栄 家族
田中角栄には数多くの愛人(妾)がいますが、本妻は田中はなです。当時の政治家には珍しいことではありませんが、その中でも田中角栄の女性関係はかなりであったと言われています。
配偶者→田中はな(旧姓は坂本 はな)
子女 長男→田中正法
長女→田中真紀子
もう一人の長男→田中京
もう一人の二男→田中祐
親族→田中直紀(入婿)
甥→山科薫
妾→辻和子
では、佐藤昭子さんと田中角栄の関係について見ていきましょう。
田中角栄の分身とまで言われていた影の支配者。二人の出会いから愛人関係、二人の娘、佐藤敦子さんについてご紹介します。